こんにちは、カタツムリ系です。
この本は、アインシュタインの相対性理論までの「古典物理学」と、ニールス・ボーアなどによる「量子力学」の間には
- もちろん、違うところはたくさんある。例えば、古典物理学は、原因さえ分かれば結果もそこそこ予測できる、とか。いわゆる因果性。
- しかし、そんなに毛色の違ったものではなく、お互いに補いあうものだよ!
という主張をした内容(のようです)。この関係を「相補性」というとか。学問的な内容ではあるのでしょうが、量子力学を物理学界の中で擁護するための、かなり政治的な論文という気もします。そういう意味では、二重の面白さありますが、読んでいて、分かってような、分からないような、の連続ですね💦しかし、著者ボーア博士のファイティング・ポーズは、雄々しい😊
出典はアマゾンさん。
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【目次】
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量子力学は、そんなに、はぐれ者ではないと言ったり、やっぱり特殊と言い直したり💦
先ほど「相補性」と言って、量子力学のエッジの効いたところを中和したかと思いきや
P-75
量子論によって私たちに開示され、私たちの通常の直観的理解のとどかない事実のなかに、人間思惟の一般的(・哲学的)な問題を解明するためのひとつの手段を獲得したという確信を、私たちはほとんど免れることはできないのである
要は、日常感覚と原子などの極小の世界の動きは全然違うのですよ、という趣旨。しかし、こう言われると、聖書にも出てきそうな奇跡でも発見したかのようです。まぁ、実際、そうなのかもしれませんが💦
P-80
今日、物理学者たちが「電子波」だとか「光子」だとかを口にしているのを聞くと、おそらくは、ニュートンとマクスウェルが築き上げた土台から私たちが完全に離れてしまったかのように思われるでしょう
と突き放すかと思えば
P-82
ニュートンとマクスウェルの言語は今後ともずっと物理学者の言語であり続けるであろう、ということができます
と引き寄せます。ここらあたりが、かなり政治的に聞こえるのも、そんなに不思議ではないか、と思っています。そして、押してダメなら引いてみろ、の表現する通り、言葉巧みに量子力学を擁護するボーア博士に、量子力学の「ラス・ボス」感さえ感じます。
だんだん英雄的に
P-185
ある面においては人間のすべての経験のうちでもっとも単純なものを扱っている原子物理学における分析と総合が、生活という偉大なドラマにおいては私たちは観客でもあれば同時に俳優でもあるという古人の知恵を、冗談でなく思い起こさせてきた
どこか、例えば、ロンドンのシェークスピア劇の舞台ででも耳にできそうなセリフ。こうして引用した言葉を口にした人が、すぐあとに、ハムレットばりに「生きるべきか、死ぬべきか。それか問題だ」と言っても、まるで違和感ありません💦
国際連合への公開書簡
原爆の恐ろしさが浸透してするにつれ、ラスボスとしては、公式に立場を表明する必要が生じたようです。しかし、この方、まったくたじろがないのです💦そんな環境下、国際連合に公式に書簡を送ることになったようです。
P-294
人類にとって、原子エネルギー資源により文明の物質的条件を改善するという見通しを断念することはほとんど問題になりえませんから、文明が生き延びるためには、あきらかに国際関係の抜本的な調整が不可欠であります
きっと、今よりずっと国際連合が注目されていた時期。高らかな宣言、という感じがして、いっそ、晴れやかな気分さえ起きます。
最後に
本書中の思考実験とか、数式などは分からないことがほとんどなので割愛しています。なので、量子力学に関してというよりは、ボーア博士の「人」と「なり」にばかり触れた感あります💦しかし、この方のラスボス感はかなりのもの。ちょっとしたドラマを観ているようで、そんな楽しみ方もできる、誠に多面的な量子力学。正直、かなり初歩的なことさえも分かっていないのですが、なかなか、やめられません💦
また、次回。
#ニールス・ボーア論文集 因果性と相補性
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